東京電力原子炉損傷隠し事件

             吉岡 斉

2002.9.20 217


 記者会見する東電・南社長

 一、原子炉損傷隠し事件の発覚

 経済産業省原子力安全・保安院は八月二九日、東京電力が一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけて、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の三か所の合計一七基の商業発電用原子炉のうち、一三基(福島県の一〇基はすべて)について、合計二九件の自主点検記録虚偽記載を行っていたことを発表した。その多くは、圧力容器の内部に置かれ核燃料集合体を支えるシュラウド(炉心隔壁)や、炉心に冷却水を送り込むジェットポンプなどの重要機器に関するものである。一三基のうち五基についてはすでに修理が終わっているが、八基については損傷を抱えたまま運転が行われていると見られる。

 これを受けて同日夕刻、東京電力の南直哉社長らが記者会見を開き、容疑事実をみとめ謝罪するとともに、福島県・新潟県で実施を検討していたプルサーマル計画を当面断念する意思を明らかにした。

 なお事件発覚から四日後の九月二日、事件の本格的な究明を待たずして、東京電力は荒木浩会長、南直哉社長に加え、社長・会長を歴任した平岩外四相談役および那須翔相談役、そして榎本聡明副社長の計五名の引責辞任を発表した。筆者は一九九九年から二〇〇〇年にかけて一年半にわたり実施された総理府原子力委員会の長期計画改定作業に委員として参加したが、長期計画策定会議の座長をつとめられた那須翔氏にはお世話になった。那須氏と筆者のやりとりを狐と狸の掛け合い漫才と評する者も居たが、発言者名入りの詳細議事録の公表や、委員の各分科会へのオブザーバー参加を決めたのは、彼の英断であったと筆者は評価している。このたび経営責任者として潔い対応を取ったことに敬意を表したい。ただし現役時代に事件に関連する情報を得ていたならば、その経緯と内容について洗いざらい話して頂きたい。

 この「東京電力原子炉損傷隠し事件」の概要をごく簡単に復習する。商業発電用原子炉では年一回のペースで定期検査が行われる。そこでは規制官庁(経済産業省。二〇〇〇年までは通産省)による検査と並行して、電力会社による自主検査が行われる。規制官庁の量的・質的な弱体のため、自主検査の果たす役割は大きい。この定期検査の時期に合わせて核燃料交換(配置換えを含む)が行われる。ただし実態としては反対に、核燃料交換の時期に合わせて定期検査が行われると見た方がよい。核燃料の高性能化により核燃料交換の間隔延長が可能となっている。電力会社サイドでは稼働率向上の観点からそれを強く望んでいるが、それには検査間隔の延長をもたらすという安全上のデメリットがあり、実現をみていない。

 さて、電力会社の自主検査記録は規制官庁に提出される。東京電力に自主検査を委託されていたのは、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル(GEII)社である。東京電力の保有する全ての商業発電用原子炉は沸騰水型軽水炉(BWR)である。BWRは元々、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社が開発したものである。現在でもGE社と日本メーカー(東芝、日立)とのクロスライセンス契約に基づき、BWRは製造されている。GEII社はそのノウハウを保有する企業として、自主点検の委託業務を行ってきた。

 そのGEII社の社員だった人物が二〇〇〇年七月、自主検査記録に虚偽記載が含まれていたことを申告する内部告発文書を通産省に送りつけた。それを受けて通産省(二〇〇一年より経済産業省)が調査を開始した。その調査の過程で東京電力首脳部が事態の重要性を認識し、みずから社内調査を進めた。その社内調査結果を踏まえて検討した末、原子力安全・保安院がこのたびの発表に踏み切ったのである。

 二、事件のインパクト

 南直哉社長の発言で注目されるのは、あえてプルサーマル計画に言及し、その当面の実施延期を表明したことである。それは新聞各紙で大きく報道された。まるで損傷隠し事件の最大のインパクトが、プルサーマル計画に対するものであるかのような報道の仕方だった。それは記者の勝手な判断ではなく、南社長発言自体がそうしたニュアンスを醸し出していたためと思われる。

 たしかに今秋の定期点検時に、東京電力が福島第一(3号機)と柏崎刈羽(3号機)にMOX燃料を装荷する可能性については、多くの関係者や立地地域住民が強い関心を抱いてきた。福島県では佐藤栄佐久知事がプルサーマル受入れを二〇〇一年二月より凍結し、エネルギー政策検討会を設置して独自の検討を進めるとともに、政府に核燃料サイクル政策の再検討を要請していた。また新潟県でも刈羽村住民投票(二〇〇〇年五月)により、プルサーマル実施は凍結状態に置かれていた。こうした膠着状態の打開のために、原子力発電推進勢力が強い手段を講じてくるのではないかとの警戒感が、批判勢力の間で広がっていたことは否定できない。

 たとえば新潟県については、刈羽村の品田村長が辞任し、プルサーマル実施に関して村民の信を問う形で村長選に再立候補し、東京電力の全面的なバックアップにより勝利することで、住民投票の効果を消し去るというシナリオの可能性が噂されていた。また福島県については、エネルギー政策検討会の中間報告が九月に発表されるという政治日程のもとで、プルサーマル受入れ凍結解除を求める県内世論が自由民主党や原発立地自治体の間で高まり、政府も攻勢を強めていた。佐藤知事(自由民主党出身だが、プルサーマル凍結に関しては党内で孤立状態にある)をはじめとする県執行部がどこまでそうした圧力に耐えられるかについて関係者の間では懸念が抱かれていた。そうした状況を考慮するならば、南社長があえてプルサーマル計画延期を表明したことは、直面する最重要問題への対応として当然のものと見なすことができるのかも知れない。

 しかし筆者には、この事件を政府の原子力政策の再検討のための恰好の機会として最大限に活用しようと、東京電力の首脳部が考えているように思えてならない。もちろんそうした思惑をもって東京電力が、この損傷隠し事件の本格調査に踏み切ったわけではなかろう。自ら望んでそれを選択するほどの勇気と智略を、東京電力が持ち合わせていたとは思われない。この事件に関与した東京電力の関係者は、帳簿をきれいにすることにより、良い実績をあげていることを社内・社外にアピールするとともに、社外から無用の嫌疑を抱かれる余地を消し、営業運転への影響を避けたいという意識で、虚偽記録を作成したと思われる。

 しかし事件が露見した以上は、「名を捨て実をとる捨身戦略」を東京電力は取るものと予想される。その戦略とは「国民の信頼を損なった」という大義名分により、発電用原子炉の新増設の凍結と、核燃料サイクルにおける再処理・プルサーマル路線の推進凍結を行うことである。

 三、原子力発電に尻込みする電力業界

 電力自由化が進展するなかで、電力会社は経済効率性の追求と経営リスクの低減を強力に推進しなければならない立場に立たされている。その第一の要となるのが核燃料サイクルにおける再処理・プルサーマル路線の推進凍結である。そして第二の要は発電用原子力の新増設の凍結である。原子力発電は経済性において重大な弱点を抱えており、とくに上記の二点がアキレス腱なのである。

 資源エネルギー庁が一九九九年に発表した最新の試算によれば、ベース電源利用(設備利用率八〇%)を前提として、四〇年間(設備のライフサイクルに相当する)での平均発電原価につき、一定の条件のもとで試算を行った場合、原子力発電のそれは一Kw時当り五・九円であり、石炭火力(六・五円)、天然ガス火力(六・四円)、石油火力(一〇・二円)のいずれよりも安い。ただしそれは各種のインフラストラクチャー・コスト(揚水発電施設の建設・維持費、長距離送電網の建設・維持費、立地対策費等)を勘定に入れていない。しかも電源三法等による立地支援や一般会計・特別会計による研究開発支援をはじめ、政府による各種の手厚い支援コストは一切除外されている。

 とくに重要なのはバックエンド・コストの著しい過小評価である。再処理コストは意図的に低く見積もられ、一Kw時当り〇・六三円となっている。そのからくりは超長期にわたり少しずつ再処理していくというシナリオを採用し、割引率三%の仮定のもとで現在価値換算を行うという手法である。それにより名目コストは実費の約半額となる。日本原燃が青森県六ヶ所村に建設中の商業再処理工場の一トン当たりの再処理コストは、高い設備利用率(八三%)を仮定しても三億九〇〇〇万円にのぼると見られている(電気事業連合会が進めているコスト評価に関する新聞報道による)。それは原子力発電コストを一Kw時当り一円以上押し上げる。再処理・プルサーマル路線の経済的負担は電力会社にとってあまりにも重い。再処理・プルサーマル路線の推進凍結は電力会社にとって将来の死活問題となりかねない。

 他方、発電用原子炉の新増設に関しては、もし再処理・プルサーマル路線を放棄するならば、ライフサイクルコスト(施設の寿命と見られる四〇〜五〇年間の通算コスト)において原子力発電が火力発電に対して競争力をもつと見られる。それでもなお原子力発電施設の新増設が敬遠される主な理由は、次の三つである。

 第一に、資本費が高く燃料費が安いという原子力発電の特性上、発電会社はひとたび原子力発電設備の建設を決断すれば、設備投資及びその失敗回避に関する経営戦略上のフレキシビリティが失われるという大きな経営リスクが掛かってくる。電力自由化および技術革新の進展により、既成の電力会社の顧客が新規参入の発電会社や分散型電源に奪われ、じり貧状態になることが予想される。それにより電力会社が過剰設備を抱える可能性が濃厚である。原発新増設の経営リスクが高いと見なされるゆえんである。

 第二に、原子力発電はその最終的なコストが不確実である。それは廃炉と廃棄物処分の費用の正確な見積もりができないためである。現在は電力会社が全ての費用をまかなうことになっている。そのうち高レベル廃棄物処分に関しては、電力会社が原子力環境整備促進・資金管理センターに拠出金(一Kw時当たり約一三銭)を支出している。しかしそれは過小評価ぎみの予測に基づくものであるため、電力会社はあとになって巨額の超過コストを負担しなければならない恐れがある。

 第三に、原子力発電は、政治的・行政的環境の変化に対してきわめて脆弱である。ドイツでの脱原子力合意のようなものが将来締結される可能性は否定できない。また原子力に関しては今まで、政府による手厚い支援メカニズムが整備されてきたが、それが将来も維持されるどうかは定かではない。

 すでに減価償却を終えた運転中の原子炉は、燃料費が火力発電と比べて相対的に安いため、電力会社にとって今後、老朽化が進んで経済的な運転が困難となってくるまでは、長期間フルに活用するに値するドル箱である。しかしこれから莫大な建設費をかけて新増設するのは、以上四点を考慮に入れるならば、電力会社にとって経営的観点から合理的であるとは思われない。

 この事件を契機として、みずからに対する信頼喪失を大義名分として、東京電力をはじめとする電力各社が発電用原子炉の新増設の凍結を打ち出してくる公算は大きい。実際、東京電力が福島第一原発7・8号機と、東通原発1・2号機のあわせて四機の建設計画を凍結すると発表したと報道する新聞もある。電力業界の動きには、転んでもただでは起きないしたたかさを感じさせられる。

 四、「電力対通産省」の新たなせめぎあい

 それでは政府とりわけ商業原子力発電とそのインフラストラクチャーに関する行政を一手に担う経済産業省サイドから見て、この事件のもつ意味は何だろうか。

 それは二つの側面に分けて考えることができる。第一は、原子力発電行政への打撃である。これにより政府が強力に指導・支援してきた電力会社の原発新増設に対する国民世論は厳しくなるだろう。また政府が強い姿勢で取り組んできた核燃料サイクル事業への影響も大きい。プルサーマル計画が当分延期となることが確実となったため、余剰プルトニウム問題の取り扱いが難しくなり、日本原燃六ヶ所村再処理工場の操業開始(二〇〇五年七月に予定されている)にも影響が及ぶことは必至である。第二は、経済産業省の電力業界に対する発言権が強まることである。「電力一家」は「家長」が「閉門蟄居」を命じられたので、しばらくは経済産業省にあからさまな抵抗できなくなるだろう(それでも「国民の信頼喪失」という大義名分により面従腹背の姿勢を続ける余地は残されている)。以上二つの影響が複雑に絡み合う形で、今後の原子力政策が展開されるものと予想される。

 筆者は当初、この事件は経済産業省と電力業界との「政治闘争」のひとこまなのではないかと疑った。「原子力発電事業(核燃料サイクル事業を含む)の拡大と、電気事業の経済効率性の向上とは、電力業界の利害からみると両立しないので、もし政府が前者に固執するならば、それによって電力業界に課せられるコストとリスクを免除する仕組みをつくれ。さもなければ原子力発電の新増設や核燃料サイクルからの撤退もありうる」というのが電力業界の立場である。いわば「面従腹背」の条件闘争の立場である。それが電力自由化や核燃料サイクル事業が停滞状態を続けてきた大きな要因である。

 電力自由化や核燃料サイクル事業について「面従腹背」の消極姿勢を見せ、経済産業省の思惑になかなか従おうとしない電力業界(東京電力は八月下旬に福島県と新潟県の原子炉の損傷発見について相次いで発表したが、それは今回の定期検査時のMOX燃料装荷を見送るための故意の情報リークではないかと見られていた)に対して、経済産業省が怒りを爆発させ、絶妙のタイミングで威嚇攻撃に踏み切ったのではないかと、筆者は疑ったのである。

 この威嚇攻撃はもちろん原子力行政にも打撃を与えるので、冷静沈着な官僚ならば躊躇すると思われるがつい支配衝動にかられて威嚇攻撃に踏み切った可能性もある。この説の難点は、原子力安全・保安院と資源エネルギー庁が必ずしも不可分一体のものではない点にあるが、両機関の連携プレイもありうる話である。事の真相は不明である。しかし結果としてこの事件が「電力対通産省」の新たなせめぎあいの舞台を作り出したことは否定できない。事件発覚の動機よりも、それが結果的に果たす機能の方がはるかに重要である。

 政府にとって短期的には、原子力行政の停滞がもたらされることは明らかである。しかしその代わりに政府は、電力自由化に関して電力業界の抵抗を封じ込めることができる。また原子力発電および核燃料サイクルの推進に関しても、電力業界の消極姿勢を押し切ることが従来よりも容易となる。このように中期的には政府の思いどおりの政策が展開できる可能性が広がる(長期的効果については言うまでもなく、もっとマクロな観点から分析する必要がある)。

 ここで問題となるのが、「政府の思いどおり」とは一体何なのかということである。経済産業省は合理的で首尾一貫した原子力政策の長期ビジョンをもっているわけではない。同省は「原子力発電事業の拡大」「欧米並の電力自由化の推進」「電気事業への政府介入権限の強化」の三者の同時達成を目指していると思われる。この三者のいずれも、経済産業省全体(自由化・規制緩和の実績をあげることは得点となる)、経済産業省のエネルギー行政関連部門、およびそれに影響を及ぼす諸勢力の利害に適っている。もちろん三者は多分に対立しあう側面をもつ。いわゆるトリレンマ状況がそこには存在する。しかし経済産業省は(他の省庁にも同じことが言えるが)、できるだけ利害関係者の誰もがそれなりに満足する形で政策を作ろうとする組織である。たとえ内的不整合が生じることがわかっていても現場に負担を押しつける形で処理することが多い。その結果、ほとんどのしわ寄せは電力業界に掛かってくる。

 今回の事件をきっかけに電力業界への政府の「国策」協力要請圧力が、エネルギー政策基本法(六月七日成立)にも助けられて格段に強化される強い懸念がある。もし今回の事件が電力業界の「国策」に対する面従腹背的な姿勢を屈伏させるための見せしめとして使われ、官僚独裁をエスカレートさせるならば、将来に大きな禍根を残すこととなろう。


よしおか ひとし/九州大学大学院比較社会文化研究院 教員

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