もうひとつの9・11

                               山崎 カヲル

2002.9.20 217


 9.11の世界貿易センタービル

 どこかで『ミッシング』という米国映画のビデオを見かけたら、ぜひ手に入れて鑑賞してほしい。この映画は一九八二年制作、コスタ・ガブラスが監督し、主演はジャック・レモン、それにシシー・スペイセクが共演している。ジャック・レモンといえば、ビリー・ワイルダーが撮った『お熱いのがお好き』や『アパートの鍵貸します』で好演した喜劇俳優だし、スペイセクが有名になったのはホラー映画『キャリー』の主人公としてだった。なんでこのふたりが出ている映画をここで挙げるかというと、九月一一日という日づけとかかわるからである。(本誌218「映画の世界参照」)
 
 九月一一日は現在、昨年のニューヨークにおける、世界貿易センタービルへの自爆攻撃のシーンとしっかりと結びついている。しかし、九月一一日は、このシーンに固定されて記憶されるべきではない。もうひとつの九月一一日を、私たちはそれと重ね合わせながら思い起こす必要がある。

 確かにセンタービルの崩壊は、多数の死者(最新の計算によると二八〇一人だという)と、ほとんどリアルタイムに世界中に流れた映像があまりにも強烈だったこと、それに「国際テロ」対策を口実にしたブッシュ政権のなりふりかまわない強権的で抑圧的な国際政治、さらに間近に迫っているイラクへの軍事行動という連鎖のなかでしか、いまは考えられないのかもしれない。

 しかし、攻撃で崩れ落ちる建物と大量の死者と結びついた、もうひとつの九月一一日があった。一九七三年、場所は南米のチリである。この日、チリの首都サンティアゴにおいて、サルバドル・アジェンデ大統領と彼の護衛隊や同志たちが立てこもっていた大統領府の建物が、クーデタを起こしたチリ三軍(正確には警察軍を含む四軍)の猛烈な砲爆撃によって崩壊し、多くの死者が出た。現在のようにリアルタイムで映像が届けられる時代ではなかったが、数日後に私たちは崩れ落ちる大統領官邸のシーンをテレビで見ることができた。それからのチリでは、過酷な軍政がひかれ、万を数える人々が虐殺され、それ以上の人々が強制収容所で拷問を受けたのである。チリ海軍はエスメラルダ号という美しい帆船を持っている。エスメラルダ号はときどき日本にもその優雅な姿を見せるが、クーデタ直後にはこの帆船は拷問センターのひとつだった。

 三〇年もまえのことなので、少し詳しく経過を追うことにする。
 一九七〇年、チリでは社会党、共産党、急進党、キリスト教左派からなる人民連合を基盤に、社会党のサルバドル・アジェンデが大統領に就任した。それは選挙による社会主義への移行の実験として、国際的な注目をあびた。しかし、もっと重要な実験が七〇年からはじまっていたのである。

 当時、ラテンアメリカでの政治変革については、武装闘争(ゲリラ戦)を機軸にした社会主義の実現を目指すキューバ派と、選挙を通じた民族民主革命を目的にした伝統的な共産党路線とが、いたるところでぶつかっていた。チリも例外ではなく、社会党左派、キリスト教左派、それに人民連合には加わらなかった革命的左翼運動(MIR)が前者を、社会党右派と共産党が後者を支持していた。MIRははじめ、アジェンデ政権には是々非々の態度をとっていた。

 しかし、民衆運動はだれもが予想しなかったような展開をとげる。反アジェンデ派の妨害で議会が混乱し、右派の政治的・経済的な攻勢に政府が充分に対応できないでいたことにいらだって、民衆はしだいに人民権力という、新しい権力構造を築きあげはじめた。古い用語でいえば「下からの権力」が組織的に形成されつつあった。その影響は軍隊内にまで及んでいた。

 もちろん、人民連合内部での対立が深まり、それを政治的に解消できなかったことが、アジェンデ政権のアキレス腱になったのだが、この人民権力の実験はチリの民衆が誇るにたりるものだったと思う。いたるところでコミューン型の組織が生まれ、いま読んでも感動的な議論と実践が繰り広げられていた。

 軍部がもっとも恐れたのは、この人民権力の抬頭で、彼らはCIAを中軸にした米国政府(共和党のニクソンが大統領だった)と、利権の喪失を望まないITTをはじめとする多国籍企業に後押しされて、クーデタを敢行したのである。

 合法的に選ばれた政府を武力で打倒し、人道的に許されない虐殺と拷問で無数の人々を抑圧したのだから、アウグスト・ピノチェットをトップにした軍事政権は、明らかにブッシュのいう「無法国家」である。それに加えて軍事政権は、エージェントを米国に派遣して、亡命中のもと外相レテリエルを、なんとワシントンで爆弾によって殺している。立派な「テロ国家」でもあったわけである。

 ニクソン政権はもちろん、国連での非難決議を求めなかったし、経済封鎖や空爆でこの「無法国家」を叩こうともしなかった。クーデタはワシントンでは歓迎されたのである。ついでにいっておくと、クーデタ直後に日本のある作家はチリを訪れ、クーデタは混乱を避けるために必要だったと報告している。曾野綾子という作家である。彼女はクーデタを当初は支持していたキリスト教民主党(彼女と同じカトリックの政党)に招待されて、殺戮の弁護に当たったのだが、その後、同党が軍事政権のあまりの弾圧ぶりに恐れをなして公然たる支持を引っこめると、利口なことに口をつぐんでしまう。ただ、私は大量殺戮を擁護した日本人として、彼女の名前を忘れるつもりはない。

 このクーデタは、単にチリだけでなく、ラテンアメリカ全体、さらには国際的な左翼運動にも、大きな影響を与えた。ラテンアメリカでは、旧来のゲリラ戦争路線に戻ることは論外であった。その程度に、チリ民衆の闘争と自己組織化は進んでいたのである。だが、選挙による政権獲得が軍事力であっさりと覆されることも明白だった。ラテンアメリカの革命路線は混迷期に入る。

 アジェンデ政権の崩壊は、もっと広い影響を持った。クーデタを阻止できなかったのは、中間階級が「極左」勢力の急進的政策におびえ、人民連合から遠ざかったからだという総括が、イタリアや日本でなされている。イタリア共産党の「歴史的妥協」という路線転換(やがて同党の解体につながる)は、チリでの出来事が大きなきっかけになっている。メキシコでも、共産党は右に動き、やがて他の左派政党と合同して消滅してしまう。日本に関しては、ここでは触れないでおく。

 実際には、チリの中産階級はグレミオと呼ばれる職能組合に組織されており、右翼の牙城だったのだが、そのような政治的・歴史的な分析など無視され、アジェンデ政権の崩壊は米帝国主義と「極左」の「盲動」によるものだとする解釈が、大きな流れになった。

 現在のチリはいちおう軍事政権を終わらせたが、軍部の勢力はいまだに強力である。MIRはいまも非合法組織として活動している。MIRがかつてペルーで日本大使公邸を占拠し、壊滅的な打撃を受けたMRTAと共闘関係にあることも付け加えておきたい。私は数年まえ、MIRのある活動家と長時間議論する機会を持ったが、残念なことに、ほとんどの幹部をクーデタで失ったMIRがいまだにその打撃から回復しておらず、かなり硬直した考えを保持していると思っている。

 いずれにしても九月一一日を、二〇〇一年だけの「記念日」にしてはならない。一九七三年九月一一日という歴史的な経験を忘れて、世界貿易センタービルやペンタゴンへの攻撃だけにこの日づけを固定してしまうなら、私たちは現代史をきちんと捉えることができない。単一の記憶に固着するのでなく、複数の事実によってその記憶を濾過しないと、ブッシュ政権の愚かさを笑うことさえできないだろう(よけいなことを付言すると、ブッシュは鼻のかたちを変えるとニクソンによく似ている)。


やまざき かおる/東京経済大学 教員

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